世界で初めて開発されたマイクロプロセッサ。日本の電卓メーカービジコン社の依頼を受け、インテル社により開発生産されたものです。当時、いくつもの企業へ電卓のOEM製造を行っていたビジコン社は、OEMの相手先ごとに様々な電卓とそれに用いるICチップを作り変える必要がありました。しかしこれには大変な人手と時間を要し、ICチップメーカーも製造を引き受けたがらなかった。このためビジコン社は電卓の機能の変更について、ICチップの設計変更などハード面の対応ではなく、プログラムの変更というソフト面の変更で対応する方式をとることを考えた(これがいわゆる「ストアード・プログラミング方式」である)。
こうした方式の電卓向けチップを開発するため同社は、1969年4月に当時新興企業であったINTEL社とマイクロコンピュータ開発に関する
仮契約を結び、翌年2月に本契約を結ぶ。この契約では、INTEL社がビジコン社の要請を受けて設計製造する4個のLSIについて、両社が共同して開発にあたること、開発費用としてビジコン社が10万ドルをINTEL社に支払うこと、開発された製品はビジコン社が販売権を独占するということが取り決められた。ビジコン社はこの契約に基づき自社で設計した論理回路をINTEL社に示した。この論理回路を持って3人のビジコン社員が渡米するが、その中の一人が嶋正利である。嶋はテッド・ホフやフェデリコ・ファジンなどINTELの技術者と共同で1971年3月に4004を完成した。契約から3年後の1973年4月には両社の間で契約の修正が行われ、ビジコン社は独占販売権を放棄する一方、INTEL社はチップ販売権の5%をビジコン社に支払うことが合意された。
小島社長は当時マイクロプロセッサーのパテントをとることを真剣に考えていたが、結果的には申請をしなかった。もし申請していれば莫大な特許料収入がビジコン社に入ったことになる。特許をとらなかったことはビジコン社にとって残念なことであるが、特許料をとらなかったことが結果として現在のマイコンの普及につながったと考えることもできる。
4004が誕生した頃、レジスターの分野でも機械式から電子式への開発が模索されていた。東京電気株式会社(現
東芝テック)は、1970年11月に電子レジスターの開発に成功し、翌年の5月(昭和46年5月)に東京青梅で開かれたビジネスショーに、10キー方式、25分類、ICメモリー付の"マコニック"BRC-30を発表した。昭和46年秋には西ドイツのエレクトロニクス社からガソリンスタンド向け電子会計機の開発を依頼され、従来のROMを組んだ回路では部品点数が多すぎたことことからMCS-4の採用による開発に踏み切り、1972年10月に量産試作を完了し、翌年5月より世界初のマイコンによる電子レジスターの出荷を開始した。このように世界初のマイクロプロセッサ4004を誕生させ、需要を拡大させる上で日本の企業は大きな役割を果たした。
開発者の中に日本人も多数存在し、CPU開発に携るが何故日本でCPU生産ができないか?この事を知る事が重要です。
今や日本国内に日の丸半導体が存在しなくなった現在は寂しい限りです。
このi8008も日本のメーカからの受注による開発でした。発注したメーカは精工舎(現在のセイコー・エプソン)だったと
言われています。しかし今度もまたインテル社は同社のブランドで販売することのできる契約を結ぶことに成功し、発表した
わけです。8ビット並列処理になり処理命令数も増えましたが、クロックがi4004比で2倍程度であったため、実際の処理能力も
2倍程度にしかなりませんでした。「Radio Electronics」誌によると、ホビー・コンピュータに夢中だったDon Lancasterという人が、このi8008を使用してパソコンの原型となるRadio Electronicsという装置を作ったそうです。しかしこの装置は「テレビ・タイプライター」と呼ばれて、通信やテレックスなどの端末として使用されたとのことです(インテル社の資料による)。この時点では、この装置は汎用として使用できない(=re-programabilityがない)ため、コンピュータと呼べるものではありませんでした。単にフルキーボードと表示装置(モニタ)をUI(ユーザ・インタフェース)にしただけです。この人がそのときにプログラムを自由に入れ替えることに気付いていたなら、歴史は変わっていたかも知れません。
マイクロプロセッサー8008 1972年
4004を基にした次世代のプロセッサというと、8008となります。世界初の8 bitマイクロプロセッサです。Intelによりますと、1972年4月1日発表、10 um幅p-MOSプロセスで約3500個のトランジスタを集積となっています。標準品ではクロック周波数500 kHzで8 bitの加減算命令の実行時間は20 usでした。後に800 kHzクロックで動作する8008-1という型番の高速バージョンが発表されています。8008は4004の成功を受けて開発されたのではありません。4004の開発途中で、8008の開発プロジェクトが立ち上がっています。その際に4004の設計者を引き抜いて8008の開発にあたらせました。このため、4004の次世代のプロセッサというより、4004と同世代の姉妹品という設計になっています。設計者が共通な上、4004が顧客にどのように評価されるかわからない状態で別の顧客から依頼があったデータ端末用LSIとして開発が始まったため、確かに4004と似ているところが多くあります。そのひとつが、左の写真からわかるようにパッケージに現れています。8008のパッケージ違い。上ふたつはセラミックパッケージですがピンの取り付け方など少し違います。多分、左の方が少し古いのではないかと思います。下はCERDIPです。右側は左のパッケージと同じ種類ですがパッケージを分解してチップをむき出しにしたもの。それなりの顕微鏡があればパターンを眺めることができます。Siemens社の高速版8008であるSAB8008-1Cと、旧東ドイツVEB Kombinat Robotron社の8008互換チップのU808D。普通の撮影法で、メタル層のパターンしか見えませんので、Intel社の公開しているダイ写真とは異なったものになります。下には8008の文字が見えますね。左側にはIntel社のコピーライト表示が潰れてしまっています。メタル配線が白く光っているだけなので、左下のボンディングパッドなどはどこにも接続されていないように見えますが、実際はきちんと接続されています。
マイクロプロセッサー8080 1974年
さて、このあたりからはご存じの方が多いかと思います。マイクロプロセッサが急速に普及したのは、この8080Aが契機だといっても過言ではないでしょう。これ以前の、たとえば8008ではコンピュータとして動作させるのに60個以上のICから構成される回路を作成しなくてはなりませんでした。ところが8080Aでは20個程度のICから構成される回路でコンピュータの形態になります。4040と違い、8 bitの文字データを簡単に操作できますし、プログラムとデータの区別なく同じメモリに格納するようになっています。また、それまでのマイクロプロセッサ製品と異なり、プロセッサを普及させ応用できる技術者を増やすために、各社が評価用のキットを発売したというのも、事件でした。本来の対象であったすぐに応用製品を開発しなくてはならない技術者以外の、コンピュータに興味があったアマチュアが一斉に飛び付いたからです。日本でもNECからuPD8080Aを搭載したTK-80が発売され、これで8080Aを知った方も多いと思います。またMITS社のALTAIRキットのように、ミニコンピュータ風のコンピュータシステムを構築しやすい初のLSIでもありました。8008では8080の数倍規模の外付け回路が必要で、そのわりに性能が低く、汎用コンピュータ風のシステムが発売された例はごく少数です。同時にメモリの価格も低下してきていて、8080Aが使われだした時代には1 KByte数万円以下で購入できる程度になっていたのも、そういう用途への後押しになったと思われます。
IntelのWeb資料によれば、8080は1974年4月1日発表、6 umのn-MOSプロセスで約6000個のトランジスタを集積してあり、2 MHzクロックで動作するとのことです。ただし、4800個のトランジスタとしている文献もあり、おそらくこちらが正しそうです。内部レジスタに対する8 bit加算命令には最短4クロック必要ですから、2 usの実行時間で、8008の20 usと比べれば10倍の性能ということができるでしょう。
左写真。これは1976年製。
マイクロプロセッサー8086-8088 1978年
8086は、総トランジスタ数29000個で、発表当初の動作クロックは5MHzのマイクロプロセッサであり、外部データバス幅が16bitの8086と、8bitの8088の2種類が用意されていた。アドレスバス幅は20bitなのでアクセス可能な物理メモリ空間は1Mbytesになる(これは8080の16倍のメモリ空間)。アドレス線とデータ線は多重化されているので、どちらも同じ40ピンのDIPパッケージで提供されている。ハードウェア的な浮動小数点演算機能は持っていなかったが、後に浮動小数点演算処理専用のコプロセッサ8087が発売されている。8086は、ソフトウェアアーキテクチャ的には、同社の8bitマイクロプロセッサ8080/8085(やZilog社のZ80)との互換性を強く意識して作られている。実際、アセンブリ言語で記述されたプログラムは、わずかな書き換えだけでほとんどそのまま8086のアセンブリ言語に移行して実行することができた。また、周辺LSIとのインターフェイスなども互換性を重視しており、8080用の各種インターフェイスLSI(割り込みコントローラ、シリアル/パラレルインターフェイス、DMAコントローラ、カウンタ/タイマ、他)をそのまま利用することができる。
マイクロプロセッサー286 1982年
インテル社のMicrosystem 80構想の中で中核をなすマイクロ・マキシ向けプラットホームをターゲットとしてiAPX 286は提唱されました。8080Aの匂いを残す16ビットCPUと揶揄され、メモリモデルの制約などからシステム設計ががんじがらめになっていたiAPX86/88から解き放たれるべく、プロテクトモードという新しい動作モードを持たせたのが特徴です。
もちろん従来からの86モードでの動作もでき、この動作をリアルモードと呼んでいました。CPUをリセットすると、まずはリアルモードで動作するようになっていました。リアルモードとプロテクトモードでは全く異なるCPUの動作となっていて、当然ソフトウェアとしても異なるプログラミングが求められました。発表当時はWindowsやLinuxのようなOSはなく、インテルから専用のリアルタイム・マルチタスクOSとしてiRMX286、またマイクロソフトからはUNIXライクなマルチタスクOSとしてXENIX286というOSが提供されました。しかし、パソコンの世界は1981年のIBM-PC以来PC-DOS(いわゆるMS-DOS)しかなく、それはリアルモード上でしか動作しませんでした。MS-DOSはコマンドライン・ベースのOSでしたので、基本的にシングルタスクで十分でしたから、パソコンがiAPX286搭載へと移っていくのはまだ少し時間がかかりました。
マイクロプロセッサー386 1985年
Intel386™ マイクロプロセッサーは、32 ビット処理を実現したインテル初の 32 ビット・プロセッサー。同時に複数のプログラムを動作可能なマルチタスク処理にも対応。最初に発表された Intel386™ DX マイクロプロセッサーには 27 万 5,000 個のトランジスターが集積されていた。この数は 4004 マイクロプロセッサーの 100 倍以上に相当した。また、1988年には Intel386™ SX マイクロプロセッサーが発表された。このマイクロプロセッサーは、PC メーカーが 80286 マイクロプロセッサーを使ったシステム設計から簡単にアップグレードできる製品であった。
既存の命令が32ビット演算に対応したほか、多くの新命令が追加された。レジスタの直交性が増し、従来「AX は演算用」「SI、DIはメモリ操作用」など用途別に対応命令が細かく分化していたEAX、EBX、ECX、EDX、EBP、ESP、ESI、EDI合計8個の「汎用レジスタ」がほぼ均等に扱えるようになり、コンパイラ言語への対応が容易になった。
初めて自宅にて購入したIBMPCに搭載されたCPUで当時として200MHZは画期的であった。下駄をはかせ、250MHZまでのクロックアップ成功
MecoPC代替え機製作に向け、集めたCPUで233~450MHZがあったが、何故か233Mhzが調子よかった。HardOFF調達とヤフオクにて集めた。
1998年: Pentium® II
Xeon™ プロセッサー
1999年2月: Pentium® III
プロセッサー
1999年3月: Pentium® III
Xeon™ プロセッサー
1999年10月: モバイル
Pentium® III プロセッサー
2000年: インテル® Itanium® プロセッサー
2000年11月: インテル® Pentium® 4 プロセッサー
■2000年以降のマイクロプロセッサ-の流れ
2008年11月: インテル® Core™ i7 プロセッサー
2008年11月: インテル® Core™ i7 プロセッサー エクストリーム・エディション
2009年9月: インテル® Core™ i5 プロセッサー
2010年1月: インテル® Core™ i3 プロセッサー
2010年2月: インテル® Itanium® プロセッサー 9300 番台
2010年3月: インテル® Xeon® プロセッサー 5600 番台
2010年3月: インテル® Xeon® プロセッサー 7500 番台
2011年1月: 第2世代インテルCoreプロセッサ-ファミリ-
2011年4月:インテルXeon®プロセッサ-E3ファミリ-
2011年4月:インテルXeon®プロセッサ-E7ファミリ-
2012年4月:第3世代インテルCore®プロセッサ-TMファミリ-
2012年9月:インテルAtomTMプロセッサ-Z2700シリ-ズ
2012年11月:インテルItanium®プロセッサ-9500製品ファミリ-
2012年11月:インテルXeonPhiTMコプロセッサ-・ファミリ-
2013年8月:インテルQuarkQuarkプロセッサ-
2013年9月:インテルAtomTMプロセッサ-Z3000シリ-ズ
2013年9月:インテルXeon®プロセッサ-E5-2600V2製品ファミリ-
2014年9月:インテルCoreTM Mプロセッサ-E7-2600V2製品ファミリ-
2014年9月:インテルXeon®プロセッサ-E7-2600・1600V3製品ファミリ-
2015年1月:第5世代インテルCore®プロセッサ-ファミリ-
最新 Core i9 10900K LGA1200 10Core 20スレッド 最大動作クロック5.3GHZ L2キャッシュ256KB×10
L3キャッシュ20MB Intel UHD Graphics630 DDR-4-2933 TR数は未公開ですが推定4億5600万TR数
4004が2,300個のTR数でしたのでその進歩の差は・・・・19,826倍となります。